fbpixel

「待つ」ということ

「待つ」ということ

illuminated star on Christmas tree

「待つ」という経験をしたことがない人はいません。聖書に書かれている人物たちも常に期待をもって待ち望む必要がありました。

ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。
ひとりの男の子が私たちに与えられる。
主権はその肩にあり、
その名は「不思議な助言者、力ある神、
永遠の父、平和の君」と呼ばれる。
その主権は増し加わり、その平和は限りなく、
ダビデの王座に就いて、その王国を治め、
さばきと正義によってこれを堅く立て、
これを支える。今よりとこしえまで。
万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。

イザヤ 9章6-7節


「いつになったら来るの?」

キラキラした目の8歳の男の子がそう言います。

「もうこれ以上待てないよー」

おじいちゃんとおばあちゃんが家に着くのを今か今かと待ったことがあれば、この状況の緊迫感が伝わるかもしれません。1秒が1分のように、1分が1時間のように感じられます。 

おじいちゃんとおばあちゃんはいつもプレゼントや食べ物、そして愛情を注ぐように万全の準備をして来ています。彼らの存在は待つのに値すると、世界中の子どもたちは知っています。

 

「待つ」という経験をしたことがない人はいません。聖書に書かれている人物たちも常に期待をもって待ち望む必要がありました。

アダムとエバが食べてはならないと言われた実を食べたことによって、この世界に罪という存在が入った時、神さまはその罪から救う助け主を送ることを約束されました。それが、罪のあるこの世に回復をもたらすカウントダウンが始まった瞬間でした。

 

神を信じる者たちは、その回復の時が来るのを今か今かと待ち望んでいました。彼らにとって暗闇と感じられるような時でも、神の言葉を伝える預言者たちは、人々にこの救い主はもうすぐ来るという一筋の希望を伝え続けました。しかし、マラキという預言者のあと突然、神はもはや沈黙されたように静かになりました。

反抗的な人々は神に諦められてしまったのでしょうか?

 

その日は突然、静かにやってきました。400年の沈黙が破られました。1人の赤ちゃんが生まれたのです。

今日の私たちは、どうして救い主を待つことが必要だったのかを知ることができます。その赤ちゃんは壊れた世界にただ応急処置をするのではなく、完全な回復をもたらすのです。

人として生まれた救い主であるイエスキリストと、彼の生涯がどのように幕を閉じるのかを私たちは聖書を通して知ることができます。しかし、同時にこの救いをもたらすストーリーの著者、すなわち神がどんな存在なのかを知る必要があります。

 

この12月、もしかしたらある人は、学校での良い成績の結果がくるのを待っているかもしれません。好きな人からの連絡や切な祈りの答えを待っている人もいるかもしれません。

聖書の人物たちのように、私たちも人生で、ただ弱々しく待つことを経験します。

 

この聖書のイザヤという人物の言葉は希望を失いそうになりながらも、待ち侘びている人たちに対して語られた言葉です。ただの神話ではありません。このイエスという救い主は、今を生きる私たちに対しても、このように描かれています。

「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」

 

この人物こそが、希望をもって待ち望む私たちに与えられる存在です。

その名は 「不思議な助言者」、 「力ある神」、 「永遠の父」、 「平和の君」

安田 真由

安田 真由