愛されたい、はみんな同じ

数年前、SIに1人の男子学生が来てくれました。 彼がどの大学に行っていて、何を専攻しているのかは忘れてしまったのですが、 彼のことを強烈に覚えているのには理由があります。 彼が僕に一つの質問をしてくれたんです。

「自分の周りにはクリスチャンが何人かいるけど、全員、俺がこの質問をぶつけると誰も答えられなかったんだ。だから意外とクリスチャンにも曖昧に信じていることがあるんだなと思った。」

ここまではっきりと、しかも挑戦的に疑問をぶつけてくれる学生はなかなかいないので、僕は内 心とても嬉しかったし、興味深かったのを覚えています。

「いいよ。どんな質問?僕が答えられる範囲であれば頑張ってみるよ笑」 彼の質問は、創世記に出てくる善悪の知識の木の実についての質問でした。

「神様は全てのことを知っているんだよね。未来のことももちろん。 だからアダムとイブがあの木の実を食べてしまって、罪を犯してしまうことも知っていた。 だったら、なぜ最初からそんな木を植えておいたの? 罪を犯してしまうことが分かっているなら、植えなければいい。食べちゃうの分かっているのに わざわざ植えておいて、食べちゃったらハイ罪人、なんてちょっと矛盾してるし、意地悪くな い?」

彼の指摘はとても賢いものです。 しかも、しっかりと聖書に対する「なぜ?」という疑問を自分の中で明確化していました。 クリスチャンの中でも、自分の中の疑問を曖昧にして放っておいてしまう人は少なからずいます。 それがクリスチャンであっても、です。信じているのに、です。 なぜならこれは「クリスチャンなのに」ということよりも、もっと根本的に言うなれば「人間」 という弱い器だからこそだと思います。 人ってそういうこと沢山ありますよね。仕事でも、人間関係でも、どんな事柄に対してでも、「な ぜ?」と思ったことをそのままにしておいてしまうことはあるんです。クリスチャンも然り。僕た ち人間は完璧ではありませんから。

「良い質問するね! 僕が理解している範囲で答えてみるよ。君が納得できるかはまた別としてね。笑

まず前提としてはっきりすべきことは、神様は僕ら人間を作った理由。 聖書には「神様と互いに愛し合うため」と書いてあるんだ。 神様は僕ら人間を愛するために作り、僕らは神様を愛するために作られた。

相手から愛されているって、どうしたら分かると思う? 優しい言葉をかける、とか
ハグをする、とか表現の仕方はいろいろあるけど、 単純化すると「選択する」ということだと思うんだ。 「愛する」という選択をしてもらって、僕らは愛されていることを実感できる。

つまり、神様は僕らに選択権をくれたんだ。 もちろん神様に不可能はないから、僕らが自動的に神様を愛するように作ることはできた。 でも神様はそうはしなかった。人間に自由意志を与え、選ぶことができるようにしてくれた。 人間は、神様を愛するか・愛さないか。それを選ぶことができる。 じゃあどうやって選ぶか。それがアダムとイブにとっての善悪を知る知識の実だったんだ。

例えば、想像してみて。
なーんにもない部屋に入れられて、目の前にリンゴが一つだけある。 お腹すいてるから、リンゴを食べた。そしたら「そうか、君はリンゴが好物なのか」って言われ た。「ちょっと待ってくれ」ってならない?だってリンゴしかなかったんだから。 部屋にオレンジとリンゴがあって、そのうえでリンゴを選んだら、そこで初めて「少なからずオレ ンジよりはリンゴが好き」っていうふうに測ることができるわけ。

神様はアダムとイブに、「エデンの園にある全ての木の実を食べて良い。だけどあの木からはたべ ちゃいけないよ」と言われた。 本当に神様を愛しているなら、ちゃんと言いつけは守りたいと思うよね。つまり「神様を愛して いるから、あの木からは食べない」という”愛する”選択ができたわけだ。

神様は僕らを操り人形にしてママゴトで愛し合いたい人じゃない。
僕らが自分の意思で神様を愛するという選択をしてほしいんだ。たとえ僕らが未来に神様を愛せない時があるとしても、それを知ってても神様は僕らの選択肢を取り去らない。自分の意思で神様を愛する、と決めた人がまさにクリスチャンなんじゃないかなと僕は思うんだ。」

彼はしばらく黙っていましたが、最後に「なるほどね」と返してくれました。

その顔は納得できたような、難しいような、いろんな感情が内混ぜになっている顔でした。僕がまるで彼を論破したように受け取ってしまったら嫌だな、と思いましたが僕が答えるべきことは答えられたかな、とも安心しました。

彼がこれからの人生の中で、僕とのキャッチボールを記憶にずっと残してくれていたら、と願って います。

私たちは弱い人間ですから、聖書の全てのことを完璧に理解できているわけではありません。 「モーセが海を割った時の仕組み」なんて分かるわけがありません。神様の奇跡なんですから。

私たちクリスチャンが神様を信じる根っこにしているのは、学問的な理解ではないんです。

「神様が本当に私たちを愛してくれている」という事実と体験なんです。 そこから全てがスタートしています。

神様は全ての人を心から愛しておられるんです。あなたも愛されているんですよ。

神様は、ご自分が愛しておられる私たちが、神様を愛する「選択」をしてくれることを、 ずっと待っておられます。

愛する人から愛されたい。それは誰でも同じはず。

ヨハネの手紙第一4:16 「神は愛です。」