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キリスト教、一気に学ぼう

キリスト教
(超) 入門講座

キリスト教の福音は短いプレゼンテーションで説明可能なほどシンプルです。それでも、そのメッセージは何百万人もの生命を変え、過去2000年間における多くの偉大な知識人によって研究されてきました。

これは聖書からのメッセージであり、神と神の世界、そして私たちの人生における選択について語っています。その核心には、イエス・キリストという特定の人物の生涯と業績があります。

そして、私たちが聖書からこの中心的なメッセージを完全に理解するための方法の一つが、イエスの最もよく知られて愛されている「浪費息子のたとえ話」というものです。

目次


放蕩息子の話

さて、取税人たちや罪人たちがみな、話を聞こうとしてイエスの近くにやって来た。 すると、パリサイ人たち、律法学者たちが、「この人は罪人たちを受け入れて、一緒に食事をしている」と文句を言った。そこでイエスは、彼らにこのようなたとえを話された。

ルカによる福音書15章1−3節

この入門講座は6課までありますが、全体を通してある一つの聖書の中のストーリーがテーマになっています。

今回の学びでは、そのストーリーの全体像を見ていきます。そして毎回の学びでは、そのストーリーのポイントごとに詳しく見ていくという構成をとっています。

聖書箇所:ルカの福音書15章

SHARE:「聖書を読む」ことに関してどんなイメージを持っていますか?クリスチャンにとって聖書はどんな役割を果たしていると思いますか?

キリスト教の大事なポイント

聖書は守らなければならない道徳や倫理の教えが書いてある本ではありません。あれをしなさい、こういう人間になりなさい、こんなことをしてはいけないよ、というルールがメインのポイントではありません。

むしろ、どうがんばっても、あがいても「良い人間」になることのできない全ての人に向けて、その解決策を提示しているのが聖書です。聖書を通して神を知り、自分を知っていきます。

これから聖書のストーリーを読んで行きますが、想像力を働かせながら登場人物の心情やキャラクターについて思いを馳せて、人物たちのやりとりに注目してみてください。

ストーリーに出てくる人物たちは全く別世界の人ではなく、私たちと同じ人間です。

 

QUESTIONS:
  1. ルカ 15:1-3: 話し手、聞き手は誰ですか?彼らはどんな人たちでしょうか?
  2. ルカ 15:11-32: 登場人物は誰ですか?
  3. 一人一人はどんなキャラクターですか?
  4. このストーリーのポイント(伝えたいこと)は何だと思いますか?この例え話の聞き手と登場人物との関連性がヒントです。
  5. 自分はどんな点でこのストーリーに共感しますか?または共感するのが難しいですか?


キリスト教の神像

はじめに神が天と地を創造された。 2 地は茫漠として何もなく、闇が大水の面の上にあり、神の霊がその水の面を動いていた。

創世記1章1−2節

これは、天と地が創造されたときの
経緯である。神である主が、地と天を
造られたときのこと。

創世記2章4節

「神」と同じ言葉を使っても、宗教や文化的なバックグラウンドによって、人によってイメージする神は異なります。キリスト教で神と言うとき、それはどんな神なのか、それを理解するために、3つのキーワードがあります。創造主、義、そして恵み、です。
SHARE:

「神」と聞いてどんなイメージがありますか?

READ:
創造主 (創世記1:1-2:3)
  1. 神は何をつくりましたか?
  2. この箇所から神について何を知ることができますか?
READ:
聖なる神 (出エジプト24:15-18, 出エジプト 33:20-23, イザヤ6:1-5)

3. この箇所から神について何を知ることができますか?

READ:
恵みの神 (詩篇103:1-13)

4. この箇所から神について何を知ることができますか?

THINK:

5. 放蕩息子のストーリーとどのような繋がりを見出すことができますか?

神は人を意図をもって作った天の父のような存在です。

放蕩息子のストーリーで、お父さんは息子がどれほどひどいことをしたのかを咎めることはできました。しかし、家に帰ってきた息子の存在を心から喜んで迎え入れるお父さんとしての姿が描かれています。神は意図をもって人を作られた天の父のような存在です。しかし、聖なる神なので、完全ではない人は神と近づくことすらできません。ですが同時に、恵みに富んでいる方なので、赦し、愛し、祝福を与えようとされます。

神は、創造主であり、聖なる方、そして恵みに溢れている方です。


神と人の関係

神である主は、その大地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。それで人は生きるものとなった。神である主は東の方のエデンに園を設け、そこにご自分が形造った人を置かれた。 神である主は、その土地に、見るからに好ましく、食べるのに良いすべての木を、そして、園の中央にいのちの木を、また善悪の知識の木を生えさせた。

創世記2章7−9節


 

神である主は人を連れて来て、エデンの園に置き、そこを耕させ、また守らせた。 神である主は人に命じられた。「あなたは園のどの木からでも思いのまま食べてよい。 しかし、善悪の知識の木からは、食べてはならない。その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」

創世記2章15-17節

前回は、キリスト教の神像について学び、父と子としての、神と私たちについて学びましたが、今回はもう少しそのトピックについて掘り下げてみたいと思います。 その神と私たちはどんな関係があるのでしょうか? SHARE: 人間関係で大事な要素は何だと思いますか? READ:
創世記 2章:7ー9節; 15−17節
  1. 人は誰に、どうやってつくられましたか?
  2. アダムとエバはどんな場所にいましたか?
  3. 神は人にあることを命じました。それは何ですか?

READ:

創世記3章:1ー12節
4. 実を食べた後、ふたりに起こった変化は何でしょうか?
THINK:
5. どうしてふたりは神の約束を守れなかったんでしょうか?

神様と人ははじめ素晴らしい関係をもっていました。人はありのままを完全に神様に知られて、本当に愛されていました。一緒に時間を過ごして、信頼関係がそこにはありました。神様は優しいお父さんのようにいつも守り、存在を喜んでくださっています。

しかし、人間は自らの自由な選択によって神さまとの関係よりも、自分の思い通りにすることを選びました。そしてその選択の結果は、神と人同士の壊れた関係でした。これをキリスト教では罪と呼びます。


人類最大の問題ー罪ー

私は、自分のうちに、すなわち、自分の肉のうちに善が住んでいないことを知っています。私には良いことをしたいという願いがいつもあるのに、実行できないからです。 私は、したいと願う善を行わないで、したくない悪を行っています。 私が自分でしたくないことをしているなら、それを行っているのは、もはや私ではなく、私のうちに住んでいる罪です。 そういうわけで、善を行いたいと願っている、その私に悪が存在するという原理を、私は見出します。

ローマ人への手紙7章18−21節

しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。

ローマ人への手紙5章8節

聖書の世界観のなかでは、世界と、人間を含めたそこにある全てのものは神によって創造されたとされています。この「神が創造された世界にあって、神を退け、無視すること」が的を外れているということです。神の秩序、神の基準、この世界と人間に対して神が創造した法則を無視して、自分勝手に行動することは、全て罪です。こう聞くと、どうして神はこんなに厳しすぎるんだと思いませんか。

SHARE:

「罪」と聞くとどんなイメージがありますか?どんなものが思い浮かびますか?

REVIEW:

創世記 2章
  1. 神がアダムとエバに命じたことは何でしたか?
  2. 善悪の知識の木の実を食べるとどうなると神は言っていますか?

READ:

ローマ人への手紙7章:18−21節
THINK:

3. ここで罪はどんなものとして描かれていますか?

4. 神はどうして罪を犯すことのできる可能性がある人をわざわざつくったのでしょうか?

5. ローマ5:8を読むと、罪の解決策は何にあると言えるでしょうか?

罪は行為ではなく、性質
アダムとエバの選択によって、私たち人間にはもれなく罪の性質が備わることになりました。罪とは、全人類の問題です。この世界で生きている人、誰もがこの罪の現実に直面しています。個人のレベルでは、自分を守るための嘘、虚栄心、プライド、自己肯定感、人を傷つけること、働きすぎること、働かなさすぎること、自分のために人を利用すること、責任転嫁、、そしてこの個人レベルの罪が重なり合うこの社会では、貧困、戦争、差別、環境破壊、人権問題、、などといった形で罪の結果が現れてきます。


行いの動機

この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です。 9 行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。

エペソ人への手紙2章8−9節

SHARE:

良い人とはどんな人だと思いますか?その基準は何ですか?

READ:

出エジプト 20:1 -17

1. 神はイスラエルの人々に何を求めていると言えますか?アダムとエバはどんな場所にいましたか?

2. この10この戒めのうちどのくらい守れば良しと認められるのでしょうか?

READ:

ローマ3:20
3. 律法の役割は何でしょうか?
READ:
エペソ 2章1ー10節
4. 自分の力で救われることがないなら、何が救いとなるでしょうか?
THINK:
5. 放蕩息子のストーリーの兄の行いの動機は何でしたか?自分がどうしても欲しいと願っているものは何だと思いますか?
大事なのは 心の動機。

罪の根は自己中心です。私たちはこの自己中心の性質をもっていて、ここから自分の力で宗教をすることによって逃れることができません。表面的な行動では良い人に見えたとしても、心のなかにはこの自己中心の性質がくすぶっています。自己中心とは、神から離れて自分の力で生きていることです。罪とは、神から離れることなので、よいことをすることによってこの問題が解決されるわけではありません。神を信頼していず、頼っていないことには変わりありません。神のもとへ戻ってくることが罪の解決です。


神の子とされる

私はまた、大きな声が御座から出て、こう言うのを聞いた。
「見よ、神の幕屋が人々とともにある。
神は人々とともに住み、人々は神の民となる。
神ご自身が彼らの神として、ともにおられる。 神は彼らの目から
涙をことごとくぬぐい取ってくださる。
もはや死はなく、
悲しみも、叫び声も、苦しみもない。
以前のものが過ぎ去ったからである。」

黙示録21章3−4節

READ:

ローマ人への手紙6章:3−11節
1. キリストを信じるならその人はどうなりますか?
READ:
2コリント 4:16-5:4, 黙示録 21:3-4
2. この地上での人生の他に何があると書いていますか? それはどんな場所でしょうか?対比に注目してみてください。
THINK:
放蕩息子 ルカ 15章
3. 放蕩息子のストーリーで、弟は家に帰ってくるまでどんな状態でしたか? 4. このストーリーの最後ではパーティーが開催されます。これは何を意味していると思いますか?
SHARE:
5. あなたにとって、神とは、イエスとはどんな存在ですか?
生き方の根本的な変革
放蕩息子のたとえはこのようなエンディングを迎えます。弟のためにパーティーを開催していることに怒った兄にお父さんがこのような言葉をかけます。「だが、おまえの弟は死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのは当然ではないか。」お父さんは、自分から一度離れて家出をした弟がもう一度家に帰ってきたことを喜んでいます。もちろん弟は実際には死んでいませんでした。父の家から離れただけでしたが、お父さんにとっては、最愛の息子を失ったも同然でした。父にとっては自分の息子がどれだけ社会的に落ちこぼれても自分の評判を落としても、息子への愛は変わりませんでした。